漢字教育士ひろりんの書斎漢字の書架
2015.1.  掲載

 「雅」はみやびやかな字ではなかった1)

 「優雅」や「雅楽」という言葉に使われる「雅」という字について述べる。訓読みでは「みやび」と読み、いかにも高貴な雰囲気を持つ字である。しかし、元をたどれば、この字はカラスを表す文字だった。

 雅の部首である「隹(スイ)」はふるとりと言い、鳥の形からできた象形文字である。したがって、隼・雀・雁・雉・雛など、隹のつく字は鳥に関するものが多い。「鳥」は尾の長い鳥、「隹」は短い鳥を表したといわれるが(「説文解字」)、そのような違いではないという説もある(「字統」)。
 カラスは普通「烏」と書くが、「鴉」とも書く。この字の鳥を隹に入れ替えれば「雅」となる。つまり、鴉と雅はほとんど同じ成り立ちを持つ漢字で、意味の上でも違いはないものと考えられる。同様に、雁と鴈(がん、かり)、鷄とniwatori.png(608 byte)(にわとり)なども、鳥と隹が交換可能な文字である。
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「雅」小篆
 「雅」は形声文字であり、偏の「牙」は文字の発音を表す声符である。ここでふと気がついたのは、「ガ」という発音はカラスの鳴き声から来ているのではないか、ということである。つまり、「があ」と鳴くカラスを中国語で「ガア」と呼び、そのカラスを表す文字として「鴉」・「雅」が作られたのではないか。さっそく字統を見ると、「牙はその鳴く声を写す」とある。さらに、「大漢和辞典」で調べると、「雅」は、カラスを表す場合、「ア」または「ガ」と発音したとある。やはり、鳴き声が種名になったと考えてよいようだ。
 念のために中国語の辞書にあたってみると、現代ではカラスを表す語として「烏」や「鴉」、「karasu.png(500 byte)」を使い、発音は「ウー」・「ヤ」・「グヮ」に近いようである(「BitEx日中・中日辞書」ほかウェブ上の辞書を参照)。

 では、なぜ、このカラスを表す雅が優雅の雅になったか。
 この、雅の意味の変化は、かなり古い時代に起こっている。中国古代の詩歌を集成した「詩経」の中の詩のジャンルのひとつとして、「大雅」「小雅」の名が伝えられているのだ。この場合の「雅」は、楽章の名であり、周王朝の儀式・宴席などでうたわれた詩であるという。
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「夏」金文
 当時、雅は「夏」と通用し、夏は舞楽を舞う人の象形とされる(字統)。
 つまり、舞楽を意味する「夏」の字の代わりに、近い発音を持つ「雅」が用いられ、これが楽章の名として詩経に記録されたというわけだ。ここまで来れば、「みやび」の意味に発展するまであと一歩である。

 しかし、ここでひとつの疑問が生じる。雅は夏と通用するというが、舞楽を舞う人の象形である「夏」という字の代わりに、当時はカラスの意味しかなかったはずの雅という字が、発音が近いからといって使われるものだろうか。
 漢字の造字や運用の原理を分類した「六書」のひとつに、「仮借(かしゃ)」というものがある。抽象的概念や代名詞など、象形や形声で文字を作りにくいことがらを表すために、同じ(または近い)発音で既にある漢字を借用することで、簡単に言えば「あて字」の一種である。「雅」の意味の変化も、この仮借によるものとされる。
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「我」甲骨文
 例えば、「我」という字は、もともと大きなのこぎりの象形文字である。しかし、自分を表す言葉がのこぎりと同じ発音であったため、「われ」を表す文字が必要となったとき、我を借用して用いた。おかげで、我という字は「われ」専用となってしまい、のこぎりの意味は忘れ去られた。
 また、前述の「夏」という字が季節の「なつ」の意味で使われるようになったのも、この用字法によるものである。他にも、麦を意味した「来」、箕を意味した「其」、燃えるという意味だった「然」など、仮借によって異なった意味を与えられた文字は多く、新旧の意味の間には何の関係もない場合が多い。
 上にあげた例はいずれもよく使われる字で、当時の知識人が見れば文字の元の意味は簡単に分かったはずである。にもかかわらず、何の関係もない意味に平気で(?)用いている。漢字は現存唯一の表意文字だといわれるが、仮借による文字に限っては、同音の文字を借りて用いる点で、表音文字の手法を取り入れているといえる。
 こうしてみると、当時の人にとって、「夏」の代わりに「雅」を用いることも不自然ではなかったのだろう。想像に過ぎないが、宮廷舞楽を意味した「夏」が、もっぱら商(殷)に先立つ王朝の名(舞楽に象徴される文化を持つ王朝として名づけられたと思われる)として使われるようになったため、舞楽の意味では「雅」が広く使われるようになったのではなかろうか。

 というわけで、「雅」という文字を名前に持つ人にとっては、あまり面白くない結果となった。しかし、「その漢字の元の意味を知っていれば名前に使わなかったのに」と言われそうな漢字は、他にも、道・真・久・幸など、たくさんあるようだ。命名された時点での漢字の意味を重視していただく、ということで優雅におさめたい。

注1)(財)日本漢字能力検定協会発行「日本語教育研究13」(2007年)所収論考「『雅』という字の本来の意味」を一部改訂・改題。     戻る


参考・引用資料

説文解字  後漢・許慎撰、100年:下記「説文解字注」より

説文解字注  清・段玉裁注、1815年:影印本第4次印刷 浙江古籍出版社 2010年

新訂字統  普及版第5刷 白川静著、平凡社 2011年

大漢和辞典  修訂版 諸橋轍次著、大修館書店 1986年

康煕字典(内府本)  清、1716年[東京大学東洋文化研究所所蔵]:PDF版 初版 パーソナルメディア 2011年

画像引用元(特記なきもの)

小篆  漢字古今字資料庫(台湾・中央研究院ウェブサイト)

JIS規格外漢字(明朝体)  グリフウィキ(ウェブサイト)